本文へジャンプ2012年 12月号

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「第三極」か「第二極」か

 次期総選挙を巡って複雑で錯綜した解説がまかり通っている。連日メディアが報道しているのは、いわゆる「第三極」と呼ばれる小政党の政策の違いや、安倍自民党と野田民主党との対立軸を強調する事である。

 しかし政策を優先して投票先を選ぼうとすれば次期総選挙は判断不能に陥る。消費増税、原発、TPP,金融政策、地域主権など、各政党の主張は入り乱れ、全く収拾がつかなくなる。にもかかわらずメディアは各党の政策を並べて解説しているが、これは無意味と言うより有害と言った方が良い。

 こうした事が起きるのは「選挙は政策で選ぶ」という考えが根底にあるからである。しかしそれは世界でも日本だけではないかと私は思っている。政権交代がかかった3年前の総選挙の時も「『マニフェスト選挙』を叫ぶインチキ」というコラムを書いて、マニフェストを絶対の判断基準であるかのように言う学者、評論家、メディアの無知を批判した。

 私は「マニフェスト選挙」に反対ではないが、日本で行われているのは「マニフェストもどき」のインチキである。やるなら本物のマニフェスト選挙をやれば良い。「もどき」を選挙の絶対的基準にするのは馬鹿な話だと思う。

 マニフェスト選挙の本場はイギリスである。イギリスでは「候補者は豚でもよい」と言われるほど候補者を選ぶ選挙ではない。選ばれるのは政党のマニフェストである。従って候補者はポスターも個人事務所も街宣車も必要ない。だから選挙に金はかからない。候補者の選挙活動はマニフェストを配って歩くことである。

 そのマニフェストの中身も政策の羅列ではない。国家の現状をどう捉えるか、どこに問題があり何を変えるか、そしてどのような社会を目指すか、それを国民に宣言するのがマニフェストである。個々の政策はそれに付随して出てくる。大事なのは政策よりも向かうべき社会の在り方である。国民はそれを見て支持する政党を決める。

 日本では候補者が個人事務所を構え、個人のポスターを張り、街宣車で個人名を連呼する。個人を選んでもらうのが日本の選挙である。だから地縁、血縁が大切になる。そのどこがマニフェスト選挙なのか。そして日本のマニフェストは政策の羅列である。それに数値目標を入れ、工程表を作ったりするから、達成されないと「マニフェスト違反」と批判される。

 アメリカに「マニフェスト選挙」はない。候補者個人の能力を競い合う選挙である。能力の中でも集金能力が最も重視され、献金を多く集めた候補者が当選する。国民は政策よりも候補者の経歴や実績を見て投票する。口先の政策より政策を実現できる力を見極めるのである。

 4年前の大統領選挙でオバマは「チェンジ」を訴え、国民にアメリカ経済の立て直しを約束した。しかし経済再建の道は厳しく、約束が果たされたとは言えない状況で再び選挙に臨むことになった。日本式の「マニフェスト感覚」で言えば、オバマは約束を果たせなかった「うそつき」である。

 野党共和党はもちろんそう言ってオバマを攻撃した。しかし国民は約束を果たせなかったオバマを再び選んだ。それはオバマの目指す方向がロムニーよりも支持されたからである。オバマの個々の政策や公約の達成具合を国民は重視した訳ではない。これが世界に共通する選挙の選択肢ではないかと私は思う。

 そこで我が国の次期総選挙をどう考えるかである。第一に忘れてならないのは、何度も言うが国民の権利をないがしろにした違憲総選挙であるという事だ。1票の格差が解消されないまま選挙は強行される。「解消させなかったのは与党民主党の責任だ」と自公は言うが、民自公は国民が頼んでもいない「3党合意」をやり、その見返りに「年内解散」を自公は迫った。従って憲法をないがしろにしたのは民自公の3党すべてである。「だからこんな選挙に行けるか」ではなく、「だからそのことを頭に入れて」投票所に行かなければならない。

 次になぜ総選挙になったかである。それは消費増税法案を国会で成立させたからである。それ以外に理由はない。民主党は3年前の総選挙で「4年間は消費税を上げない」と国民に約束し、「上げる時には国民に信を問う」と言った。しかし4年も経たないうちに増税を決めた。そして増税は選挙の後なので国民との約束に反しないと説明した。自公は消費増税に協力する一方で「マニフェスト違反だから選挙で信を問え」と民主党に迫り、3党合意の見返りに総選挙が行われる事になった。

 だから二重三重の意味で総選挙は消費増税の信を問うために行われる。ところが民自公3党は選挙で不利になるから消費増税を選挙の争点にしたくない。そのため3党は今一生懸命に争点隠しをやろうとしている。それが野田総理と安倍総裁に現れている。金融政策、TPP,世襲問題などで両党は激しく相手を批判するが、その意図は消費増税から国民の目をそらさせるための「争点隠し」以外の何物でもない。

 実は民自公3党はどんなに激しく相手を批判しても選挙後は手を組まざるを得ない運命にある。「ねじれ」で政権運営が全くできなくなるからだ。国民が「政策」の対立なんぞに目を奪われていると「争点隠し」に騙される事になる。「政策」よりも大事なのは数の論理である。「政策」はごまかせるが数はごまかせない。

 仮に次期総選挙で安倍自民党が大勝しても、参議院で民主党の協力を得ない限り安倍氏が政権公約を実現する事は絶対に出来ない。そのため民自公は運命共同体なのである。民自公が怖いのは「第三極」の勢力が伸びる事で、そのためにも民主と自民は対立を強く見せつける必要がある。

 小泉総理がやったように激しい分裂選挙はその他の政党を目立たせなくする効果を持つ。さらにTPPや金融政策など消費増税以外の争点が増えるほど国民に選挙の原点を忘れさせる。従って本来の原点を浮かび上がらせるためには「第三極」が「第二極」にならなければならない。民主vs自公vs「第三極」ではなく、民自公vs「第二極」になる必要があるのである。

 結集できる大義さえ立てられれば「第二極」はできる。3党合意が霞ヶ関官僚の主導によると思うなら「霞ヶ関体制打倒」でも「既成政治の打破」でも良い。政策の違いはどうにでもなる。そもそも政策が同じなら同じ政党になる訳で、現状の政治を変えるには政策の違う政党が結集する必要があるのである。

 ところが問題は「第三極」の中で「政策の違いごっこ」をやっている事である。ピンボケメディアと同じように「選挙は政策を選ぶもの」などと思っているのなら世界の政治に太刀打ちできない未熟児レベルで、徳川幕藩体制を壊した薩長土肥連合にも遠く及ばない。所詮は民自公の補完勢力に成り下がるだけの話である。「第三極」が「第二極」になれるか、それが次期総選挙の最大の焦点である。

テレビを見ていると「どうせ政治は良くならねえ」とか「誰がやっても同じだ」など自分で自分に唾する発言を耳にするが、国民生活に最も直結する問題は消費税の導入である。それに意思表示をしなければ景気がどうなっても文句は言えない。来年夏の参議院選挙と2度にわたって意思表示ができる機会をむざむざ無駄にするのは本当に愚かである。風下っ子 

「いちばん好きな漢字は?」

ときどきそう聞かれる。

 日本語を母語として漢字に囲まれながら育った人間も、たまに同じことを聞かれるかもしれないが、回数でいうとぼくのほうがきっと多いだろう。アルファベットの26レターを使って育ち、20歳過ぎてから日本語の文字ジャングルにもぐり込んで、この20年余りずっと漢字と格闘しているからだ。

 ただ、そもそもぼくは漢字とひらがなとカタカナの多様な世界に魅せられて、日本語を覚えようと思い立った。学べば学ぶほどに文字が面白くなり、今も興味が薄れる気配などない。したがって「いちばん好きな漢字は?」と聞かれると、こまってしまう。みんな優劣つけがたく、好きな漢字は馬に食わせるほどあって、いっぺんにどっと頭に浮かんでくる。

「馬」「牛」「虫」「蝶」「亀」「蛇」「鳥」「梟」「魚」「鮫」「犬」「狼」「猫」「虎」「蛙」「蟇」「池」「沼」「川」「河」「湖」「海」「山」「峰」「岩」「巌」「木」「樹」「梢」「葉」……といった具合に。

結局、好き嫌いの基準では選べない。けれど、実際に書いてみて「いちばん実感がわく漢字は?」とくれば、少し候補を絞ることができる。「山」は単純でありながらも見事に山の姿を見せてくれるし、「川」もまったくだ。「毛」を書くだけでなんだか毛が生えてきた感覚になるし、「尾」も妙に尻尾の生えた感覚とつながるし、また「菜」はちゃんと菜っ葉の存在を包んでいる印象だ。

 もっと画数の多いものでも、たとえば「兜」という字を書いていけば、なるほど兜(かぶと)を組み立てている感じがするし、ましてや「兜蟹」を丁寧に綴ってみたなら、いつの間にか心の中で砂浜が広がり、波打ち際を兜蟹(かぶとがに)が一匹のしのし歩いてくる。

でもひょっとしたら、「いちばん実感がわく」のは「風」という漢字ではないか。
 

 何百回も、いや、何千回となく書いているから、よけい実感をともなうかもしれないが、筆でも鉛筆でもボールペンでも、あの「几」の尻尾の撥ねあたりでシュルッと風が起こる。そして内部に「虫」を孕(はら)めば、その一字の表情が決まる。 

「微風」に見えるか「強風」に見えるか、「熱風」か「寒風」か、「川風」か「山風」か「潮風」となるか、それは書き手の気分と癖次第だが、どう書こうとも「風」という漢字はなんらかの風を吹かす。しかも、空気そのものが目に見えない存在なのに、漢字の「風」は、この上なくビジュアルな現象なのだ。 

 イギリスの詩人クリスティナ・ロセッティのWho Has Seen the Wind?という作品は、涼風のようにやさしく、一度読んだら忘れられない。その名詩を、西条八十の和訳で読むと「風」の漢字の効果も加わり、原作に負けない、あるいはそれを超える風力を発揮する。

Who has seen the wind?         Neither I nor you:

But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.
 

Who has seen the wind?         Neither you nor I:

But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by.        


Christina Rossetti18301894
 

だあれが風を見たでしょう   ぼくもあなたも見やしない、

けれど木の葉をふるわせて  
風はとおりぬけてゆく。
 

だあれが風を見たでしょう   あなたもぼくも見やしない、

けれど木立ちがあたまをさげて      
風はとおりすぎてゆく。
                       

西条八十訳
 

 古今東西の人間の暮らしにおいて、風は計りしれない影響をおよぼし、国問わず言語問わず、すべての文学で大きな役割を果たしてきた。 

ところが1942年に、原子炉というものが初めて組み立てられ、核分裂の連鎖反応によって核兵器の原料が大量につくられるようになった。そこからじりじりと「風」の意味合いが変わり始めた。 

 核開発の施設から漏れ出す放射性物質が風にのって飛散する。 

1945716日にニューメキシコ州でプルトニウム爆弾の核実験が行なわれ、北米大陸の風が死の灰を運び、その翌月、広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾が投下され、市民の大量虐殺とともに、日本の風も、死の灰に毒された。 

 それ以来、核実験が2000回以上も行なわれ、原子炉が世界中で稼動して、放射性物質が風にばらまかれない日はない。そんな中で、人間もほかの生き物たちも、風上にいるか風下にいるかが運命の分かれ道となった。 

 核戦争と核の冬を生活者の立場で描いたレイモンド・ブリッグスの作品のタイトルはWhen the Wind Blows(『風が吹くとき』)となり、福島第一原子力発電所の人災を予言した若松丈太郎の名詩は「みなみ風吹く日」(South Winds)という題名だ。 

なにも偶然に重なったわけではなく、人工の放射性物質が飛ばされる世界では、風の吹き回しが生死を決するのだ。 

 風関連の新しい言葉も生まれた。原発あるいは原水爆の風下で、死の灰をかぶったり住む地域が汚染されたりして、被曝させられた人たちのことを英語で downwinder と呼ぶようになった。

核大国アメリカに生まれ育ったぼくは、もちろん downwinder という単語を知っていたが、「日本語でなんと呼ぶか?」について2011年の春までは、考えたことがなかった。
 

 ある日、アメリカの友人からTシャツが届き、それはちょうど5月にシカゴ大学で開かれたシンポジウムThe Atomic Ageに合わせてデザインされたものだった。胸にイリノイ州のバイロン原発の写真と downwinder の定義がプリントされ、背のほうには放射能汚染に見舞われた場所の地名がずらずらとリストアップされていた。 

ヒロシマもナガサキもネバダもビキニも、チェリャビンスク、ウィンズケール、スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、そしてトウカイムラ、ツルガ、フクシマも……長いリストを読んでいくうちにじわりじわりと実感がわく。ぼくらがみんな downwinders である実感が。 

 そしてふっと、頭が日本語に切り替わり、その downwinder に相当する表現がないことに気づいた。「カザシモビト」か「カザシモゾク」か「カザシモリアン」か……妻と二人でさらに考えて、彼女が打ち出した「風下っ子」に決定した。 

「だあれが放射能を見たでしょう」と、とおりすぎてゆく風に、問いかけたくなる。 

Who has seen radiation?         Neither I nor you:
But when our DNA is cut,        Radiation
s passing through...
 

だあれが放射能を見たでしょう? ぼくもあなたも見やしない:けれど私たちのDNAを切断して, 風は通り抜けて行く...

         アーサー・ビナード

しがみつく女 ぎゃっふんだあ 室井佑月 (週刊朝日)

 先日、息子の塾の大きな模試があった。結果は散々だったらしく、帰宅するなり泣いていた。

 「なんで泣く?ちっとも勉強してないんだから、惜しくも、悔しくもないだろ(前の晩もその前の晩もゲームをしていた)」

 そうあたしがいうと、「だよな。よっしや、今度こそ俺、やるわ」

 と息子は顔を上げた。そして、自分の部屋にいってテストの直しをしはじめた。

それから20分くらい経っただろうか。冷たい飲み物を持っていくと、机に突っ伏して息子は寝ていた。揺さぶって起こした。

 「どうせ寝るなら、ベッドで寝れば?」

 「だよな。一回、寝てから集中してやる。2時間してから起こしてくれや」

 2時問してから起こした。起きなかったのでそのまま寝かせておいた。

 そして翌朝、

 「なんで起こしてくれなかったんだよ。あんた、俺に対して最近、冷たかないか?」

 「もう怒るのに疲れた。……あんた、今の総理は誰だか知ってる? 政権与党は?

 「野田佳彦。民主党」

 「まあ、それに対する民意と一緒さ」

 「ば、馬鹿にしてんのか!馬鹿にしてんだろ!」   正解。

 1014日、民主党の細野豪志政調会長がテレビに出て、東日本大震災の復興予算が被災地以外の事業にガンガン使われていることに対し。

 「これからは被災地以外には予算を使わないという方向性を明確にすべき。当初は被災地に限定する考えで法律を出したが、自民党の意見で日本全体に(予算を)付けようと判断した」

 と語った。

 はあ? なにいってんのこの人。政権与党の議員のくせに。

 「全体としては間違ってなかったと思う。被災地以外は落ち着きを取り戻しており、変えていい」

 だってさ、偉そうに。

 うちの息子と同レベルだな。結局、この人、復興予算の使われ方が酷いと指摘され、

 「だよな。これからはちゃんとやるわ」

 っていったんでしよ。いや、うちの子より酷い。

 うちはゲーム機のせいにしなかった(細野は他党のせいにした)。うちは自分が悪かったと思ってる(細野は間違っていないと言い張る)。

 しかも、うちはどんな結果が待っていようと、ちゃんとテストには行ったしな。

 この人たちは、この問題の審議を予定していたい11日の衆院決算行政監視委員会の小委員会を、ボイコットした。

 お~い、息子よ。あんた、民主党よりはマシみたいだ。そういったら、

 「嫌昧かよ。それ、ぜんぜん慰めにならないから」  と怒鳴られた。

 また正解しやがった。この調子で次のテストはできやがれ。

 あ、そうそう。うちはあたしの金で無駄遣い(勉強嫌いに教育費をかけること)している。そこ大事。

今年の宇部まつりは                古川 敏夫

 114日(日)、今年も宇部まつりの日、宇部保険鍼灸師会で参加して、鍼灸無料体験コーナーを開設した。今回も会場はヒストリア宇部だが、2階が1日違いで予約出来ず、一階のホールですることになった。その予約も宗岡先生のご尽力で何とか取れたのですが。

 施術にご協力頂いたのは、宗岡先生、筒井先生、松本満雄先生、松本欣之先生、大下先生、安達先生、藤田先生、宇部鍼灸マッサージ師会から、山田浩一郎先生と今年鍼灸専門学校を卒業された山田先生の奥様、伊藤先生と私、古川の計11名です。

 それぞれが、午前8時には準備にかかった。藤田先生は私の治療所にベッド等の運搬の為来てもらって宗岡先生と3人でヒストリア宇部まで搬送した。宗岡先生は続いて筒井治療所に行き筒井先生、安達先生と3人でベッド等を搬送された。午前8時半(本来午前9時でないと開かないが、宗岡先生に交渉してもらった)に入口が開きベッド、脱衣カゴ、タオルケット、シーツ、枕、松本先生が用意された鍼、綿花。バット、受付事務用品、名札、カルテ・アンケート用紙等など、宗岡先生が準備されたポスター、パネル、横断幕、のぼり旗等などを一階ホールに皆でどんどん搬入していった。それからパーテション、テーブル、椅子を設営していった。今回会場が広く、パーテションの数が少ないのでカーテンを利用したことが新たな試みでした。カーテンをパーテションとパーテションの間に設置するのに、あまり手間をかけず、費用もかけないようにということでカーテン屋のカーテンの見本、安全ピンとガーデン用の棒を買い求めた。棒を通す穴を作るのに時間がかかりそうだったので、事前に役員だけで集まり用意した。それでも準備に時間がかかりそうだったので午前8時の集合にしたのです。  ホールの半分を市役所が憩いの場として使うとのことで、会場が半分になったが、使用料も半分になり助かった。結果、体験希望者が憩いの広場のテーブルでも待たれてる方もあり、やったあといった感じでした。

 そして10時前に全員集合して、宗岡先生の話があり、鍼灸無料体験の施術が始まった。大下先生の呼び込みのおかげで最初から体験者がたえず、常時ベッドがつまり、休める人が一人くらいで次々来られる方のため昼食をする暇もなく、お茶を飲むくらいの暇しかありませんでした。最終、午後4時の予定が30分延長して終了した。体験者合計169名。去年より1・5倍。片付けが終わったときには、今日はもう帰っても食事は作れないと言った人があるくらい皆疲れていた。私も宗岡先生が筒井先生宅から帰られるまでベッドに横になり休んでいました。本当に今回参加された先生方、お疲れ様でした。

全日学会IN広島                       藤田 智己

 11月17日(土)、18日(日)に旅行会として、全日本鍼灸学会中国四国支部学術集会広島大会に宗岡先生、筒井先生、橋本先生、古川先生、中島先生、山田浩一郎先生、山田多恵先生、私の8名のメンバーで参加してまいりました。

 今大会は免疫学の権威の安保徹先生、経絡治療学会会長の岡田明三先生が講演されるということで非常に楽しみにしておりました。(安保先生ファンの松本先生が、今回は父ぎみ法事のため参加することができなかったことが、非常に残念でした。)

 初日の口演は10口演ありました。どの先生も大変よく研究、調査、また実践されていて感心するばかりでしたが、個人的には、IGL医療専門学校の武田先生による「認知症に対する鍼治療の効果」という口演が興味深かったです。 アルツハイマー型認知症の患者に鍼治療を施すことで、表情が明るくなり、笑顔が増え、意欲や集中力などが向上し、コミュニケーション能力が改善するなど、QOLの向上に一定の効果が得られるとのことでした。これからの超高齢化社会に向かい、このような症例に出会う機会も増えていくことでしょう。

 その夜は、ホテルにて懇親会。皆よく飲み、食べ、話しました。そして2次会へ。25名の出席者の中(岡田明三先生もおられました)に宇部メンバーが8名という素晴らしい好出席率でございました。

 2日目は、待ちに待っていた安保先生の講演からはじまりました。安保理論は今更言うこともありませんが、我々鍼灸師にとっては、神様、仏様、安保様と拝みたくなるようなもので、自律神経やエネルギー生成系(解糖系とミトコンドリア系)と免疫力との関わり合いの理解は、我々の目の前に光を照らしてくれます。日々の臨床にとても役に立つものばかりです。安保先生のお話は、とても分かりやすく、面白く、終始うなずきと笑いの絶えない素晴らしい講演でした。やはり、読むのと聞くのとでは違いますね。 

 岡田先生の講演では、気血、営衛、衛気、営血の調整は安保理論と通ずる事、また特に脈診の必要性を、強く訴えていらっしゃいました。本当の鍼治療というもののあり方を、改めて教えていただき気が引き締まりました。 

 2日目は、皆さん少々お疲れぎみではありましたが、どなたも居眠りすることなく、しっかり講演に耳を傾けておられました。今大会は、それだけ参加する価値があったという事でしょうか。

色々なお話を聞いたせいか、おかげか、帰りの車中ではこれからの事を考え、頭がモヤモヤとしていました。しかし、まあ、とにかく真面目に人と自分に向き合う、それしかないですね。仕事を休んで、患者様には迷惑をかけましたが、とても有意義なものになりました。

 車を出してくださった先生、運転してくださった先生、ほんとうに御苦労様でした。どうもありがとうございました。 

国会正門前
作業前・全員集合写真1
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いつの間にか暑かった夏も終わり、例年よりも寒さを感じる今日このごろです。

会として参加した宇部まつりの鍼灸無料体験コーナーも無事に終わり170人近くの人を11人の鍼灸師でこなし、時間も6時間と短い時間でこれだけ集中している作業はさぞかし強い黄金色のオーラに包まれている感じでした(部屋の温度が上昇してた?)。詳細は古川先生の「今年の宇部まつりは」の中で記載されています。

旅行会の全日医学会参加状況も藤田先生の丁寧な文章でしめくくってあります。

さて平成24年も後1ケ月となり気ぜわしい状況になってきました。16日に選挙もあります、どの政党に入れたらいいのかこれほど解らない選挙も珍しいです。個人々がよく考えて投票したいものです。インターネットの音楽では(iTunesラジオ)ではクリスマスソングが流れています。何回もクリスマス会をしなくちゃ!!      ST 

 振り返ってみれば、今年も色々な事が有りました。個人的には原因不明の病気入院から始まり、不安定な社会情勢・経済情勢に振り回されて日々を送って来た様な気がしてなりません。毎年“終わり良ければすべて良し”と自分に言い聞かせては、新年を迎える事にしていますが、今年は特にその想いが強いです。一人々が本当の意味で自覚して義務と責任を果たし、自立し自助努力する覚悟が求められているのではないでしょうか? “明るい未来を見据えてファイト”ありがとうございます! 来年も御協力宜しくお願いします。   M.M