本文へジャンプ2013年 8月号

編集後期…読む

これからの聖戦 四男


「まったくこの不景気だってのに四人も生んでどうするの!学校にやって、食べさせて、結婚させて…あああ~あんたの亭主の稼ぎじゃ足りるわけないでしょうが!」

四年前に長女が生まれたときは近所の人たちによく叱られたものだ。よそ様の生活といえど、おせっかいなこの国の人たちは本気で心配してくれる。町ですれ違う見ず知らずのおばさんからも同じような小言を食らったものだ。

しかしさすがに五人目となると周囲の方々も諦めたのか呆れたのか、よかったねえ、と素直にいってくれる。じつは先日、四男がうまれた。

筆者には薄情なところがある。新生児を前にしても「新しい生命の誕生…」とか「穢れなき真っ白な存在…」とか、その手の感情にまるで駆られないのである。新生児が新しいのは当たり前ではないか、と思うし、生まれたての赤ん坊の顔をみて「あどけない」とは思ったことがない。

およそ子供という子供には父方と母方の血が流れており、その中には遺伝子などという言葉だけでは語りつくせない太古の記憶が眠っている。「血―ち」と「霊―ち」は互いに近い意味を持つ言葉である。
浮世の思惑に触れていない子供たちには先祖との「霊―ち」のつながりが色濃く現れる。我々には聞こえない声が聞こえる。だからどの子も気難しい老人か求道者のような顔をしている。赤ん坊が何からも影響を受けていない穢れなき白紙の状態と思えないのはこのためである。

「へ?こんなものどうすんの?」

トルコの助産婦さんは臍の緒を持って帰りたいという変な注文におどろきながらも大事にガーゼにくるんで手渡してくれた。(半分だけ)日本の赤ちゃんが生まれたと病院中から看護婦さんや事務員さんたちが「見物」に来ていた。美女に囲まれてご満悦の四男とは裏腹に先生はちょっと不機嫌だった。この子の体重が平均よりも少なめで、筆者が処方されていたビタミンや鉄剤を使わなかったのを知っていたからである。ちなみにトルコでは新生児は3.5kgぐらいが望ましいとされ、妊婦はだいたい2025kgぐらい体重が増える(!)。おそらく、新生児の体重が3.5kgに近いほど、担当医は産科医としての評価が上がるのだろう、しかし申し訳ないが栄養剤を使ってまでもご協力するようなことではない。子供は、天から授かった己が命運で生まれてくるのだから、その体重にまで周り口出しするものではない。

臍の緒は、医者が匙を投げるような大病をしたときに煎じて薬にするためにとっておくと祖祖母から聞いていた。「母と子の感傷あふれる記念品」という解釈はかなり新しいものである。イワシの頭よろしくこれも民間信仰の一種だともいわれているがそうとも言い切れないだろう。この手のことをあまり科学の窓から見つめるのは好きではないのだが、臍帯血は白血病の治療に現に役立っており、臍帯の中の体液は細胞を再生させる効果があるとされている。日本の先祖たちはこの不思議な緒の中に何かを見出していたのだろう。しかし科学という窓を持たなかった先祖たちはこういうものに「信心」と名をつけて守ってきたのだと思う。
とにかく薬として使わずに済むことを祈りつつ、とっておく。

母親という殻に宿った時から、その子は臍の緒をとおして母親の血から栄養、酸素そのほか全てを補う。元気な子が生まれるようにと母親はつとめてよい食生活を心がける。そう、母親が口にしたものと嗅いだものは即刻その子に届いてしまうのだ。煙草や薬品、排気ガス、化学物質、何もかもである。人の体に入った「毒」は肝臓や腎臓、膵臓脾臓が分解してくれるのだが、はたしてどこまでか。この臓器は生まれてこのかた摂取し続けた薬品や化学物質の分解に疲れ果てている。血圧や糖やコレステロールが高い価を示すのは、肝臓がもう仕事をしきれなくなっていることの現れである。そしてアレルギー疾患の原因は免疫力の低下、その原因もやはり体の自浄力の衰えにある。

食品とて生体である。植物や動物の組織を食べやすく加工しただけであり、そこでは生きた成分や微生物がまだ活動を続けている。しかし電子レンジの電磁波は人の胃のなかに納まった食品の分解に役立つ成分を殲滅してしまうために大仕事は全て消化器の負担となる。
胃が重いといっては胃薬を飲み、その分解もまた肝臓に押し付けられる。鼻水が出るといっては抗生物質をつかい、体内の自浄活動を担う微生物をも殺してしまう。消費者の五感に訴えようと添加した着色料や香料は体に残留する。フッ素という有害金属を喜んで歯磨き粉に添加し骨を脆くする。それだけではない。洗髪料、液体洗剤、乳液、化粧品はその中にたった一滴の植物油を混ぜておくことで植物オイル配合と表示できるが基材は石油系鉱物油、さらにその品質維持のための保存料、安定剤、乳化剤、香料、保湿剤、色素などの毒物が添加されたものを、人はなぜか顔や体に塗りたくっている。それは皮膚と呼吸器から体内に浸透し血に混ざり「処分場」へと集められるが、処分しきれない毒は溢れてふたたび血に戻され臓器や血管に巣食う。
農作物に使われた農薬と化学肥料、そして有機肥料と銘打つのは得体の知れない添加物入りの餌を食べた家畜の糞であり、遺伝子を組み替え大量生産した作物を食べさせられ、ひどい国では家畜を生きたまま挽肉にしたものを乾燥させて飼料にまぜている。その肥料で育った作物を、あるいはその飼料で育った家畜の肉を食べたとき、工業や生活排水に毒された水域で育った魚介藻類をたべたとき、捕食の頂点にいる人間はどうなるか、言うなれば、環境の中の毒素を最も濃縮した存在となる。

父となり母となる齢を迎えるまでに人の血はこのように毒されてゆく。母親だけが身篭ってから気をつければよいというものではない。

この惨憺たる状況下でも元気な子供たちが生まれるのは奇跡というほかない。目には見えない力が働いて子供たちを穢れから守ってくれているのだろう。
臍の緒の根っこの部分である胎盤が胎児の呼吸器と泌尿器と消化器の仕事をしており、おそらくここで母親側から来る多くの毒物はせき止められるのだろう。胎児には胎児の体内で新しい血がつくられ、母親の血が混じることはない。産後直後にこの胎盤は母体から剥離する。血に滞った毒素とともに母体を去る。大量の血を失った母体は授乳のために必要な清い血を大急ぎで作り出す。そう、「乳―ち」は「血―ち」から作られる。

母乳が子供に免疫力を与えることはすでに知られている。ならば母乳にありつけなかった子達はこの先つねに病魔の脅威にさらされることになるのか、そうではない。母親の胎内にいるうちから免疫力はやはり臍の緒をとおして受け取っており、母乳はその延長上にある。妊婦がくよくよ、いらいらしてはお腹の子に障ると昔からいわれているとおり、母親が心を乱すと内分泌が狂い臓器を作るに必要な成分や免疫力の譲渡を妨げてしまうためである。
始まったばかりの生命活動から排出した老廃物はまだ臓器が出来上がっていないためには母親に戻される。これも臍の緒を介してである。

しかしそれでも子供の虚弱やアレルギー体質、先天的な疾患は起きてしまう。あるいは生後何年もたってから食生活や生活環境と絡み合い病におかされることもある。胎盤が盾になれない毒物もある。放射線である。

つまり、世の抱えるさまざまな問題が、この世のもっとも弱い、抵抗の余地のない存在である赤ん坊に「病」という皺寄せを与えている。そしてその問題とはひとごとではなく我々一人ひとりが関わっている。

我々の消費した資源が何らかの環境汚染を引き起こしているのは間違いない。いかに行政の過ちが大きかろうとも消費したのは我々である。妊婦のみならず誰ひとり心穏やかに暮らせないのもみなが異常なまでの「不安」をかかえて生きているからであり、その温床は我々の属する競争社会である。溢れ返る情報の尻馬に乗り目隠しをしたまま走るのも、商品に無駄な付加価値をのせることで利潤が上がる市場のありかたを受け入れているのも、その市場に依存してしまっているのも、隣国に嫌悪を抱くゆえに開戦をほのめかすような政党を勝たせたのも我々である。その政党は原発再稼動、TPP、戦争へと向かう。

胎児の異常の有無を調べようと、医者つまり政府は「検査」を推奨する。ダウン症などの障害の兆候が認められると中絶を勧める。ひとつの家族にとって障害を抱えた子を持つことは大変なことであることは間違いない。その子の人生も健常者のものとは明らかに違い周囲の支援が必要になる。その後ろ盾にならなければならないのは政府である。その筈の政府が「面倒を見たくないから生まないでくれ」とばかりに門前払いにするのは筋違いだ。国にとっては経済効果の期待できないない見返りのない仕事である。だから冷たい。そしてこの先、子供たちの先天疾患は確実に増えていくことを重々承知しているためになおさら突き放すのである。
どういう姿で生まれようとそれはその子の天命である。その子の親となることは親の天命である。その子を社会の、国の一員として迎えることは世の中の天命である。それに逆らいまだ産ぶ声をあげる前の人生を雑草のごとく摘み取ることを国は推奨する。そう、強制ではなく奨励という名のやわらかい脅迫である。この検査を受けるかどうかの判断は子の人生に責任のある親のほうにある。政府の勧めに忠実に従う必要はない。

「ジハード―聖戦」、この言葉を聞いて思いに浮かぶのは、剣を喉元につきつけて改宗を迫るイスラム教徒、あるいは神の名の元に破壊活動をする中東ゲリラといったところだろう。しかしこれは異教徒側がイスラム教徒を悪意の目で見たときの姿であり本来はそうではない。聖戦とは神の教えを守って生きることを阻害するもの、「異教徒との戦い」は狭義でいう聖戦である。広義では人の中の欲や悪意、物質世界への固執との戦いをいう。
そして人の体は魂がこの世で生きるための入れ物として神から与えられたものという考えがある。いわば神からの借り物である体に害を与えることは「ばちあたり」であり、他人の体はもちろん自らのその体も穢し傷つけることを禁忌としている。

ならば、体を穢すものとの戦いは聖戦である。

次世代の命を病に曝し、あるいはこの世に生まれる前に命を奪う「毒」、その毒の出どころは社会であり、こともあろうにその社会の持ち主は我々である。経済中心の社会の掟を忠実にまもる我々である。「人の中の欲、悪意、物質世界への固執」、これは仏教の言葉の「貪欲・瞋恚・無明」つまり「煩悩」にとても近い。また古代日本の先祖に言わせれば「けがれ―穢れ・気枯れ」になる。全人類の敵は大昔から知られていた。

冒頭にあるおばさんの小言は罪のないものだが実は世相が露呈している。この世の不安を「不景気」という言葉で一括してしまう。「不景気」の行き先は「貧困」である。物質の豊かさは幸せに生きるためなくてはならない条件、家と車と貯蓄があって初めて幸せといえるような幸福観に人々は支配されてしまった。生活に追われる経験がまだない若い世代はさらに即物的である。最新の通信機器と誰にも干渉されない部屋、なるべく時間に縛られない楽な仕事をして趣味三昧の暮らしをするのが彼らの幸せである。結婚の条件は経済力、それを得るために教育を受け、病気になっても医療費が払えることが解決であり、事故を起こしても保険が保障し、裁判になればよい弁護士をつければよい。寄せ来る不幸の盾になるのも金銭である。自分の持ち物が隣人のものより劣っているのは我慢がならない。だから「貧困」は何よりも恐ろしい。姿なき神の怒りよりも、いまだまみえぬ地獄の業火よりも、目の前の貧困に呑まれるほうが恐ろしいのである。
 
怒りを人間外にむけることは難しい。人は顔の見えない敵と戦うために仮想敵をつくりだすことでようやく怒りを集中させることができる。そこで誰かを、どこかの組織を、自国政府あるいはよその国を敵に見立てて戦いだす。しかしそのような狭義の戦いは不毛、新たな怒りの呼び水にしかならない。いま怒りを向けている相手は影法師、東電も、原発も、政権も、戦争もアメリカもイスラエルもみなおのれの欲の化身かもしれない。見誤ってはいけない。敵は一人ひとりの中にいる。
目まぐるしく変わるわが子の面差しには日本の両親や弟、叔父たち、もとより会うことの叶わぬ遠い遠い先祖の顔も現れているのだろう。かわいい子孫の誕生をことほぎに黄泉の国から現れたのか、それともこちらから会いに行ったのか。
大好きだった祖祖母と祖父の顔が見えたときはさすがに涙が流れて止まらなかった。
主人の家族も冬の終わりに他界した義父の顔も順番に見える。スキュタイや突厥と呼ばれていたトルコ人の先祖や、北バイカルの大地を馬で駆け回っていた民も現れているかもしれない。そして彼らは在りし日に大陸から列島に渡り、その血を縄文の日本にもたらしたのかもしれない。綿々と続く親子の縁を縦糸に、時の記憶を横糸にした織物はながらえて今に至る。

― 穢れと戦え これは聖戦ぞ ―
先祖たちは子の母親の肝に銘じ還っていった。

各国政府の中で“きりもみ状態”のスノーデン 密告者が辿る運命とオバマの資質


 元米中央情報局 (CIA)職員エドワード・スノーデン氏の亡命先が混沌としている。中国・ロシアは自国の諜報活動の汚点もあり、単純に反米的行動に出難い状況だと云う点は、理解の範囲内である。また、グローバル化した世界経済の枠組みが、国家の枠を超えたマネーと云う怪物に傅かざるを得ない現実を見せつけている。ウィキリークスの発表によると、プーチンも「スノーデン氏が、今後口を閉ざすことが条件」とし、問題の手仕舞いにしようと動いたようだ。同氏が、ロシアの要求を拒否したため、ロシアへの亡命は頓挫した。

 朝日によると、スノーデン氏が亡命を要請した国(※は拒否)は、 オーストリア、ボリビア、ブラジル※、中国、キューバ、フィンランド※、フランス、ドイツ、インド※、イタリア、アイルランド※、オランダ、ニカラグア、ノルウェー※、ポーランド※、ロシア、スペイン※、スイス、ベネズエラ、エクアドル、アイスランドとなっている。おそらく、米国CIAの影響、支配下にない国が選ばれたようである。北朝鮮、シリア、イランなどが入っていないのは、彼らが米国との関係を、今以上に悪化させることを望んでいない、と云う事実をウィキリークスは示している。

 フランスでは、スノーデン氏の亡命を認めよう、と云う世論が巻き起こっているが、オランドが左派政権だからと言って、簡単にグローバル資本主義から脱却する決意はしかねるだろう。EU全体の枠組みは、グローバル経済下でモミクチャニされているとしても、そこから一気に脱却することは、現時点では考えられない。可能性がありそうな国は、ボリビア、ニカラグア、ベネズエラ、エクアドル、キューバなどだろう。最近のニュースでエクアドルは米国の圧力と飴になびき、拒否を表明したようだ。スノーデン氏が亡命の可能性を残した国は、ボリビア、ニカラグア、ベネズエラ、キューバ。

 現実的な亡命先としては、ニカラグア、キューバは何のかんの言っても米国に近いので、適当ではないだろうか、ボリビアかベネズエラに絞られるが、両国とも何時なんどきでもクーデターの起きるようなお国柄だけに、亡命しても安穏とはしていられないかもしれない。また、チャベスと云う巨星が亡くなった後だけに、ベネズエラ政府の安定度は疑問。筆者であれば、同一条件のリスクだとしても、ボリビアを選ぶだろう。生きた心地はしないとしてもだ。このコラムを書いている最中、訪露中のボリビアのモラレス大統領が「ボリビアはスパイを暴く人を受け入れる用意がある」と答えたという。

 しかし、国内法によって訴追されたとはいえ、訴追の意味合いとしては、スノーデン氏が米国民である事も加味されているわけだから、同氏のパスポートを無効にして、地球上の生物でないことにしてしまうと言う事は、“デュ・プロセス・オブ・ロー”の基準からみても、今ひとつ理解し難い、超法規な振舞いである。スノーデン氏は以下のようにウィキリークスのサイトで声明を発表した。それにしても、香港に潜っていた方が安全だったのではないのか、未だにロシアへの旅立ちに疑問符が残る。

≪ スノーデン氏、声明で米政府の「無国籍者」扱いを非難
  国家安全保障局(NSA)による個人情報収集活動を暴露したとして米当局に訴追されているエドワード・スノーデン氏が1日、1週間以上にわたる沈黙を破っ て声明を発表した。
 スノーデン氏はその中で、米政府が各国政府に同氏の政治亡命を拒否するよう圧力をかけるとともに、パスポートを無効にすることで同氏を「無国籍」状態に陥らせているとして非難した。
 声明は内部告発サイト「ウィキリークス」のサイトに掲載された。その中でスノーデン氏はオバマ政権が「迫害からの亡命」を要求する権利を保障する国連の「世界人権宣言」に違反していると訴えた。
 「私は何の有罪判決も受けていないにもかかわらず、(ホワイトハウスは)一方的に私のパスポートを無効にし、無国籍者にしている」とスノーデン氏は述べ、「政権は現在、裁判所命令もないまま私の基本的権利の行使を阻止しようとしている。それは誰もが保持している権利で、亡命を求める権利だ」と主張した。≫(WSJ

 オバマのアンチャンは偉そうなことを、しゃあしゃあとヌカシテいる。この大統領、口から生まれたのではないかと疑いたくなる、“三百代言的強弁家”である。どこの馬鹿だか知らないが「ノーベル平和賞」を授与させたようだが、佐藤栄作への授与以上の、間違った判断だった。オバマは、単なる詭弁上手であり、覗き・盗み聞きの達人、まるで“Peeping Tom”ではなかろうか。中国やロシアがパワーバランスの均衡を保つために、スノーデン氏の亡命を認めにくい点はあるだろうが、彼に何らの手を差し伸べない事は、オバマの行為を容認したと思われても仕方がない。ただ、そのような印象が世界に拡がるにつけ、中露は反米において、役立たずな国と認識されるだろう。

 現時点で、日欧米のメディアの論調は、スノーデン氏の問題を事件として扱っているが、筆者からみると、米国の欺瞞に満ちたアメリカン・デモクラシーが“なんぼのものか”の評価であり、“自由と民権人権”とか云う言葉を弄して、他国に踏み込む行為の正当化が破壊されるわけで、パックスアメリカーナの復権を目指す米国にとって、手痛い失点である、と云う点が実は需要だ。EU各国も、温度差はあるが、今回のスノーデン氏の行為により、対米関係に神経質にならないと、自国の世論に負けると云うジレンマを抱える嵌めになっている。オバマは、以下のような詭弁で米国の、否、己の盗聴覗き癖を糊塗しようとしているが、嘘に始まり、嘘の連鎖を行い、嘘で終わる運命を予感させる。

≪ オバマ大統領「情報機関がある国はどこでもやること」
  【ヨハネスブルク=杉山正】米国家安全保障局(NSA)が同盟国の施設を盗聴していたと報道された問題で、オバマ大統領は1日、訪問先のタンザニアで会見し、一般論としながらも「我々だけではなく、情報機関がある国はどこでも世界をよりよく知ろうと情報収集している」と理解を求めた。
 オバマ氏はまた、「同盟国が求めるすべての情報を確実に提供する」とも述べ、批判を強める各国に対し、説明を重ねていく方針を示した。この問題では、欧州各国の首脳から抗議が相次いでいる。
 米による同盟国への盗聴問題は、英紙ガーディアン(電子版)が1日に報道。日本を含む 38の大使館や代表部の通信を盗聴・傍受していたと報じた。≫(朝日新聞デジタル)

 正直、スノーデン氏の亡命先云々は当面の注目点だが、大きな問題としては、アメリカが覇権維持に利用してきた“自由と民権人権”と云う錦の御旗を使うたびに、このスノーデン問題を、世界中が想起すると云う点が、非常に重要だろう。リベラルの顔を持つ秘密主義者であり、理想主義者である印象は演説と肌の色だけである事実を世界中に拡散してしまった。米国内においても、過激な情報漏洩摘発が相次ぎ、赤狩りで有名なフーヴァーとウォーターゲート事件で有名なニクソンを足したような大統領の冠を受賞するかもしれない。

 このような一連の流れは、米国の財政問題に端を発する軍事費の大幅削減を、 テクノロジーを駆使し、世界的“Peeping Tom”に走らせたと云う側面も認められる。しかし、筆者はバラク・オバマと云う人物自体が、理想主義的風貌で、実は合理的秘密主義者である側面の方に目が向く。このような問題が表面化すること自体が、米国の凋落を印象づけるし、現時点では残存するパワーで、世界を抑え込もうと行動しているが、早晩息切れするのではないだろうか。

全日本鍼灸学会学術大会(九州大会)に参加して 松本 欣之


6月8、9日に全日本鍼灸学会学術大会が福岡県のアクロス福岡で開催されました。今回は筒井先生・古川先生・濱田先生・親父・僕の5名での参加となりました(宗岡先生・橋本先生・今井先生も個別で参加されていました)。古川先生の愛車クラウンに初めて乗り込みいざ出発!車中で流れ出した音楽は何とクラッシック!!ぶち優雅であります。T先生は早々に自前の缶ビールをオープン!朝ですよ?・・・実に優雅であります。気持ちも車も風のように流れていきました。あれだけのスピードを出していながら、車体は非常に安定。さすがクラウン。素晴らしい足回りです。走り屋万歳!!\(^^)

 ナイスな走りで「あっ!!」と言う間に会場に到着。本大会は、広い会場内のさまざまな場所で一般講演や症例発表などが行われており、どこを見渡しても人!人!!人!!!その多さに思わずキョロキョロ(_;)ぬぅ~!田舎モンをなめるなよ!とりあえず集合時間と場所を決めて、各々聞きたい講演を聞きに行くことに。僕は「脳卒中リハビリテーションの革新を目指す促通反復療法」を聞きに行きました。脳卒中で麻痺を起してしまった患者さんに対するリハビリの仕方で、ポイントとなることを話しておられました。今までのリハビリは単に他動運動のみ、つまり患者さんが全く意識していな状態でのリハビリがメインだったようです。それでは筋肉の硬縮を防ぐことはできても、麻痺の改善という面でみるとあまり良い効果は期待できないとのことでした。電気刺激を与え他動的に筋収縮を起こさせる場合でも同じで、患者さん自身が「今どこの筋肉を使ってどのように関節を動かしている。」という具体的な意識をしていなければあまり意味がないようです。残った神経細胞をいかに活動させるかが重要になってくるわけで、患者さん自身が「動かそう!」とすることによって興奮刺激が伝わり、それを繰り返すことによってシナプス伝達の効率がアップします。その結果、神経回路が強化され目的動作をすることにつながるのです。大事なのは施術者と患者さんが「実現すべき運動(どう動かすのか)」をはっきり理解・共有し自他動運動(施術者が患者さんの動きをサポートする)を反復すること。患者さん自身が具体的に意識しながらリハビリを行うことです。 鍼灸治療をするにしても「どこがどんな動きでどう痛むのか」と施術者と患者さんが痛みの情報を具体的に把握することで、術前術後の比較ができますし患者さんとしても納得しやすいです。治すのは施術者でなく患者さんの体です。患者さん自身が、自分の体に目を向け積極的に治療に関わろうとすることで、より良い治療効果が期待できるのではないでしょうか。僕たちはそのきっかけを作り、後ろからそっと支えてあげられるような存在であるべきだと考えます。

 お昼ごはんは、会場の目の前にあった公園に一目惚れしたので、おにぎりとパンを買ってそこで食べることにしました。その公園はのんびりとくつろいでいる人も沢山いましたし、謎の外国人棒術遣いやハイパーヨーヨーの達人・ダンスをしながらリフティングをする人など、パフォーマー達の練習場所にもなっているようで、楽しい光景が広がっていました。更に運が良いことに、新郎新婦らしきカップルが記念撮影を行っていました。新婦さんは可愛らしいウェディングドレスに身を包み、新郎さんはビシッと決めて、2人ともニコニコしながら写真に納まっておりました。お幸せに~(^▽^)

 清々しい気持ちで午後からの講演に。午後からは小児の発達障害と鍼灸の関わりについての講演を聞きに行きました。「発達障害」とは、社会性の発達が悪く、言語発達の障害・こだわり(固執)などがある自閉症、読字が苦手だったりする学習障害(LD)などを総称したものだそうです。・・・大なり小なり誰にでもあることなので病名をつけることが良いことなのかどうなのか・・・?完璧な人間なんて存在しないわけですから、ある意味みんな病人であり障害者なのかもしれませんね。“健常者”“障害者”の定義が僕にはわかりません。話がそれました。接するときは1人1人と向き合い、その子に合った接し方することが大切で、“自分”という小さな物差しで計り、はみ出したら怒るという育て方は親子共に悪影響です。怒られた子供はどうしたら良いかわからず、また同じことを繰り返し更に怒られ「どうして自分だけが・・・。」「どうせ自分なんか・・・。」という悪感情を抱き、結果鬱状態に陥ってしまうということにもつながります。怒ってしまった親も、イライラしてさまざまな症状が表れてきます。鍼灸師の立場からできることは、子供に対してというよりはその親に対してできることの方が多い印象を受けました。親が鍼灸治療を受けることで、身体的にも精神的にも余裕が生まれます。それによって子供への接し方が良い方に変わってくるのです。子供に落ち着きがない時は、夫婦喧嘩が頻繁にあったり暴言を吐き散らしたりと、親の落ち着きの無さが子供に反映している場合もあるそうです。もし「この子落ち着きがなくって・・・。」という子供さんが来られたら、付き添っている親御さんの状態も注意しておいたほうが良いかもしれません。ちょっと話に耳を傾けてあげるだけでも、ストレス発散になり心に余裕ができると思います。

 この日の講演が終わり、他の先生方と合流してホテルへ。部屋に入ると驚きの狭さ()まぁ寝るだけだしね(^_^;)晩御飯は地下鉄とJR線を乗り継いでアサヒビールの工場へ行きました。初めの1杯目がCMで拝見した-2℃のキンキンに冷えたスーパードライ!お酒が苦手な僕でも「あっ。おいしい。」と思いました。2口飲んで満足しましたが何か?焼き肉2時間食べ放題&飲み放題で「さぁ暴飲暴食じゃ~!!」と意気込んではみたものの、約30分で撃沈。頑張りました。その後は動かざること山の如し。激しくスローダウンして、談笑しながら肉をつんつん。「気品漂う我々は量ではなく質を求めるものである。」という結論に至り「次からは単品で頼もうね。」と言っておりました。妊娠2カ月前後の大きなお腹を抱え、夜の天神の街をぶらり旅・・・あっちをぶらぶら・・・こっちをぶらぶら・・・はははぁ~。迷った(^)結局1時間弱散歩してホテルに到着。程良く疲れて即バタンQ!といきたいところでしたが、なかなか睡魔が襲ってきません。ベッドの上でゴロゴロゴロゴロ。・・・こういう時はもがけばもがく程眠れないものです。寝不足の朝を迎え、ホテルの食堂で朝ご飯。\(o)/!!!うまい!!自家製の焼きたてパンもあり、ビジネスホテルとは思えない素敵な食事でした。これがあれば部屋の狭さ何か苦になりません。

 ホテルを出てAM9:00から講演がスタートしました。僕は癌患者さんに携わっておられる先生方の話を聞きに行きました。「ファイナルステージを考える会」というボランティア団体がお医者さんや看護師さんと連携し、1人きりで閉じこもりがちな癌患者さんの精神的なケアをされているそうです。一緒に生け花をしたり、カップやお皿に模様をつけたり、掛かり付けのお医者さん同伴で屋久島に旅行に行ったりと、さまざまなイベントを定期的に行うことによって少しでも前向きな生活を送ってもらうことを目的としています。この会では「ハウトケア」という東洋医学の考え方を取り入れた独自のオイルマッサージも行っており、身体・心の痛みの緩和にも取り組んでいるそうです。こういった取り組みをするにあたって、医療従事者同志の連携が欠かせません。言わば医療チームですね。現在、そのチームの中に鍼灸師があまり介入できていないのが現状です。認知度・信頼度が低いとも言えます。この事に関して講演された先生方が改善策を挙げて下さいました。①ボランティア活動など行い認知度を高めていくこと②癌患者さんと直接接する時間が長い看護師さんと現場の情報を共有し東洋医学に親しみをもってもらうことによって、現場に東洋医学を取り入れてもらう。①はすでに鍼灸師会で行っている事ですが、②を聞いて「ほぉ~!」と思いました。看護師の友達と情報交換するのも面白そうですね!時間はかかると思いますが、鍼灸が理解され多くの人々の健康維持に重宝する時が来ると思います。小さなことからコツコツと。我々鍼灸師の使命は大なりです!

 今大会で僕が興味を抱いた講演は、テクニック云々よりも“心”に重点を置いた話が多かったように思います。鍼灸師として、そして松本欣之という1人の日本人として何ができるかを再考する良い機会になりました。「病気を見るのではなく、病気を抱えたその“人”を診る」「身体に触れ、そして心の訴えに耳を傾けることが“鍼灸”である」素敵な職業ですね(^^)

大会終了後眠気が一気に襲ってきまして、帰りの車中の事はあまり記憶にございません。T先生が喜々として缶ビールとおつまみを手にして・・・、F先生がナビの音声ガイドとお喋りしていたような・・・()いや~。優雅な2日間でありました。古川先生運転お疲れ様でした。機会があれば先生の庭(夜の中洲)を案内していただきたいものです()今回も楽しい御縁に感謝です。本当にありがとうございました!!(^^)


唯一の全員の集合写真

美味しいビールそして焼き肉腹いっぱいです。

ホーム
ホーム
ホーム
 ホーム  編集後期

鍼灸実技上達の心得7カ条

1)   ひたすら練習。不器用は上達

2)   東西医学の研究

3)   研究から臨床、臨床から研究

4)   患者さんの身体から学ぶ

5)   治すため努力・工夫・常に考える

6)   自分の身体に鍼を一日3回(1回でも)

7)   手抜きなし、全力投球、突然閃く治療法!

脈診で治療前の脈で濁った・スムーズに流れていない脈・が肝虚を基本として曲泉を治療して先の濁った・スムーズに流れていない脈が透きとった爽やかな脈に変身する。左右は凹んだ方を選択する。以上首藤先生のお話でした。              S・T

 首藤先生曰く、鍼灸師は職人である!毎日が勉強であり、だから悩んで・もがいて試行錯誤を繰り返して、やっと少しの光が見えて来る。私も死に物狂いになって努力し40年過ぎた頃から少し鍼灸と言うものが判って来た、だから大いに悩みなさいとフロアーの質問に答えておられました。私がいつも思うのは、どの職種に於いても匠(達人)と呼ばれる人は必ずと言って良いほどに生涯勉強ですと答えられます。改めて、自分の努力不足を痛感させられ、再認識させられた学術集会となりました。皆様も次回は是非一緒に参加して刺激を受け、より高みを目指しましょう!・・・・  M・M

追伸・・・9月総会の学術は自律神経について皆様への質問形式でやりたいと思いますので頭を整理して於いて下さい。